南部ふみひろ プロフィール

みなさん、南部文宏です。

このページでは、私個人の過去の経験や生活をご紹介します。

これまでの歩みや取り組みを通じて培った想い・理念を、略歴とともにお伝えいたします。

どうぞご覧ください。

南部文宏 略歴

昭和34年5月10日 三重県桑名市に生まれる。
実家は八百屋を営んでいたが、文宏5歳のときに廃業、父は地元の桑名市消防署に就職し定年まで勤めた。父昭三は既に没。
昭和56年 001北陸地方の豪雪災害派遣に派遣される。
入たいと同時に愛知大学車道校舎(名古屋市東区筒井)に通学する。
法経学部2部経済学科、昭和58年に卒業する。
昭和59年3月 自衛隊任期満了退職し、田辺事務所に就職。
田辺広雄の秘書となる。

人生の父、田辺広雄について

守山市議会議員としての歩み

田辺広雄は、守山市議会議員を連続2期務めました。折しも、守山市は市民によるアンケート投票により名古屋市への合併が決まり、名古屋市守山区となりました。
合併後、名古屋市会議員を連続5期務めた後、1983年、長男克宏を後継者とし、自身は衆議院議員を目指し、2回の落選を経て1990年に初当選。念願の国会議員を1期務めたが、1996年落選、政界を引退しました。

南部は、この時期通して田辺広雄先生を秘書として支えました。

挫折と再出発

私南部は、長年に亘って田辺への支援を頂いていた企業に自身の就職を依頼するが、断られます。

「何の役にも立たない者を飼う余裕はない。」と言われ、地獄の底に落ちた気がしました。

自分の素の実力と他人からの評価を思い知らされると共に、安直に立場を利用して就職し余生を贈ろうとした自分を恥じます。

起業への決意

落選の地獄の底から何度も這い上がり続けた、続けようとした田辺広雄氏の信念と覚悟に思いを馳せ、今こそ新たな気持ちで挑戦する時と信じ、清掃業で起業することを決意しました。

1年間ほどビルメンテナス会社、ダスキン等のハウスクリーニングの会社にアルバイトとして勤務しながら仕事を覚えます。

平成9年に有限会社サザンドリームを名古屋市守山区で起業する。その後、内装工事業、軽貨物運送事業等を取り入れ現在に至ります。

経営者としての学び

平成17年経営者の研修塾である青年経営者研修塾に入塾し、経営の勉強と経営者としてあるべき人格を備えるべく研鑽に励みました。

拉致問題との出会い

平成20年11月に鶴舞の名古屋市公会堂で開催された北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお母様である横田早紀江さんの講演を聞き、衝撃を受けます。私と同じ日本人が人権を犯され、他国に拉致されているというのに自分は何かしてきただろうか。このまま安穏と暮らしていていいのかを自らに問いました。

私は横田早紀江さんが娘を助けて下さいと涙ながらに叫ぶ声を聴きました。その言葉は、直接心に響きました。

聞き捨てにはできない!

拉致被害者救出運動への参加

そして拉致被害者救出運動に参加しました。

家業をやりくりしながら、街頭で署名活動やチラシ配布に精を出す。金山駅構内で横田めぐみさんの写真パネルの展示会やフリーマーケット開催などの諸行事に参画、私が胸に着けているブルーリボンバッジは故安倍総理も着用していた救出運動のシンボルでもあります。

新たな挑戦への決意

平成26年12月22日、田辺後援会幹部会で田辺克宏先生の後継指名を受け、愛知県議会議員選挙への出馬を決意し、皆さんの支援のもと、当選を果たしその数3回を数えました。

令和7年愛知県議会議員副議長に任命され、任に着きました。

日々の信念「知行合一」

日々心がけていること 「知行合一」

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