令和8年10月19日 スカイホール豊田
アジアパラ競技大会の開会式が行われた翌日の10月19日、天皇陛下は、スカイホール豊田でパラ卓球の試合をご観覧くださいました。私も同じ会場で観戦することができました。
選手の皆さんの懸命なプレーと、陛下のお振る舞いから私なりに感じたこと。心に残ることの多い、忘れられない一日となりました。
沿道の人、人、人。陛下をお迎えする熱気
会場のスカイホール豊田の周辺は、陛下をお迎えする大勢の方々でいっぱいでした。沿道には、人、人、人。その様子を目にして、陛下の人気は改めてすごいものだと感じました。
ひと目お姿を拝見したい。同じ場所でお迎えしたい。集まった皆さんの姿からは、そんな思いが伝わってくるようでした。
私自身も、陛下と同じ会場で卓球を観戦できることに、特別な喜びを感じていました。しかし、会場で心に残ったのは、お姿を拝見できた喜びだけではありません。
「おやっ」と思うことがあったのです。

会場アナウンスがなかったことに思う「選手ファースト」
陛下が入場される際、会場内には、そのことを知らせるアナウンスがありませんでした。退場されるときも同様でした。
「天皇陛下が入場されます。ご起立の上……」
そうした放送があるものと、私はどこかで思っていたのでしょう。それがなかったことが、かえって印象に残りました。また、ご滞在は20分ほどでした。
その理由を直接伺ったわけではありません。しかし私は、ここに、競技に臨むパラ選手へのご配慮があったのではないかと拝察しています。
この会場の主役は、あくまでも選手です。大切なのは、選手が試合に集中し、これまで培ってきた力を十分に発揮すること。その時間を大切にしておられるのではないかと感じたのです。
陛下をお迎えすることによって、選手の集中や競技の流れに影響が出ないように。ご自身に注目が集まることよりも、選手が主役であり続けることを大切にされているのではないでしょうか。
ご滞在が決して長くなかったことについても、パラ選手に負担がかからないようにというお気持ちがあったのではないかと、私は受け止めました。
「選手ファースト。選手が主役」
これは私自身の受け止めですが、会場アナウンスがなかったことと、ご滞在の時間から、そんなお気持ちを感じました。大きな言葉で示されなくても、心に伝わってくるものがある。そのことを考えさせられました。

中学時代の卓球部の気持ちがよみがえりました
ところで、私は中学生のころ、卓球部に所属していました。卓球の何たるかは、少しは知っているつもりです。
卓球は、小さなボールを打ち合う競技ですが、その一球には、回転、速さ、コース、そして相手との駆け引きがあります。ただ返せばよいというものではありません。次の一球をどうするか。一瞬の判断と、それに応える動きが求められます。
観戦しているうちに、私も中学時代の気持ちに引き戻されていきました。自分が卓球に打ち込んでいたころの感覚を思い出しながら、目の前の試合に見入っていました。
車いすでプレーする選手、杖を使う選手。それぞれに異なる障害がある中で、選手の皆さんは、自らの力と技術を尽くして競技に打ち込んでおられました。
私が心を動かされたのは、その懸命さと、競技者としてのすばらしさです。
私は、目の前の試合を「失ったものを補う試合」として見るのは違うように思いました。それぞれが持っている力や技術、すばらしさを最大限に生かし、どう勝負するか。その工夫と積み重ねが、プレーに表れているのだと感じました。
相手と向き合い、一球を追い、持てる力を発揮する。その姿に、スポーツの魅力が詰まっていました。
選手は力いっぱい競技に打ち込み、すばらしい、感動の試合を見せてくれました。観戦を通じて、卓球という競技の奥深さとおもしろさを、改めて感じることができました。
そして、あのころのように、また卓球に打ち込みたくなりました。見る人に「自分もやってみたい」と思わせてくれる。それも、選手の皆さんが見せてくださったプレーの力だと思います。

生涯忘れない、すばらしいひととき
今回の観戦では、選手の皆さんのプレーに感動するとともに、選手を主役として大切にすることの意味を、私なりに考えました。
陛下がご観覧くださったことへの喜び。そして、目の前で繰り広げられた試合のおもしろさ。私にとって、その両方が重なる、かけがえのない時間でした。
私は、陛下と同じ会場で、パラ卓球を観戦できた幸せを生涯忘れません。
すばらしい試合を見せてくださった選手の皆さん、そして大会を支えてくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
天皇陛下弥栄




